「人間というもの」司馬遼太郎 より 続き
認識は、わけ知りをつくるだけであった。
わけ知りには、志がない。志がないところに、社会の前進はないのである。志というものは、現実からわずかばかり宙に浮くだけに、花がそうであるように、香気がある。
「菜の花の沖 三」
「女がその美貌をまもるように、男はその精神の格調をまもらねばならない」
と、奥州に居たころ、例の孤雲居士がおしえてくれたことがある。
剣を学ぶのもその格調を高めるためであり、書を読むのもその格調を高めるためである。と、孤雲居士がいった。
「男はそれのみが大事だ」
と孤雲はいった。
「北斗の人」
竜馬は、議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬ、と自分にいいきかせている。
もし議論に勝ったとせよ。
相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、待つのは、負けた恨みだけである。
「竜馬がゆく」